Column

キース・フリントに捧ぐ

「再結成、え?ホント?」「また観れるのか」。NUMBER GIRLが再結成するそうで、私の周りのSNSは活気づいていた。

彼らの全盛期だった2000年前後、自分は多感な学生時代を送っていた。色んな刺激を求めていたし、その中で音楽は私をモチベートする最も大きな要素だった。

ただ、彼らについて私はほとんど知見を持っていない。向井秀徳ってNUMBER GIRLだったんだ、と思ったくらい。

それよりもやはり自分としては、周りではそんなに話題に上がらなかったけれど、先日のThe Prodigyのボーカル、キース・フリントの自死の方が衝撃的なニュースとして響いた訳で。

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休みの日、決まって自転車を走らせ向かうCDショップがあった。街にいくつかCDショップはあったけど、そこは比較的“洋楽”が占めるスペースが多く、試聴コーナーも豊富だったことから足繁く通っていた。

店員とも仲良くなりたかったが、自前の人見知りから立ち話する仲までは至らず。でも、「いらっしゃいませ」の中に“また来たね”くらいの笑みが覗くようになって、ちょっと嬉しかったのを覚えている。

そう。10代後半の私にとって、音楽とは“洋楽”だった。田舎者、年上の兄弟がいない自分にとっては他に情報収集源もなく、1週間ほど遅れて深夜に放送されていた「billboard TOP40」と、このCDショップが音楽の全てだった。

毎週の「billboard TOP40」でチャートをチェック。アーティストの名前をメモって、CDショップで確認、試聴できるものは試聴する。それほど大きくないショップだったので、棚に並んでいたのは半分以下だったけど、売れ筋の楽曲はだいたい置いてあった。

ジャンルも分からない。ヒップホップとそれ以外みたいな感じ。それもごちゃまぜに聴きまくった。Puff Daddyことショーン・コムズのプロデュース楽曲を聴いて、次の日はradioheadを聴いたり、かと思うとその次の日はTahiti80。ヒップホップからUKロック、そしてフレンチポップ。今思うとムチャクチャ。

でも、なんとなく自分の世界が拓けていく感じが楽しかった。

当時、周りのみんなはハイスタやブラフマンに熱中。街に1つだけあったライブハウスではそういう曲ばっかり。友達のバンドが出るとかで何度か付き合いで行ったけど、ノリについて行けず。帰って自分だけどっぷり“洋楽”を聴く毎日。全然音楽的な背景とか知識はなかったけどそっちの方が楽しかった。

そんな音楽との付き合いをしていくと。だんだんもっと色んな音を聴いてみたくなる。通っていたCDショップの奥の方に、Club/Danceのコーナーがあった。店員さんかオーナーさんの自己満くらいのコーナーだったかと思う。

新譜のアルバム3つくらいが試聴できたんじゃなかったか。最初はClub/Danceというジャンルが分からず、ピコピコした音楽かな?くらいの印象のみ。当時はまだボーカル入りの曲しか聴いてなかったし。でも、なんとなく興味は持っていたと思う。

Prodigyはそのコーナーに置いてあった。当時の自分が良く聴いていたRockのコーナーに置いても良さそうな気もするが、店員さんのこだわりだったんだろう。そして、Prodigyはビルボードでもランクインする。ビルボードで目にしたアーティストがClub/Danceに並ぶ。そう。私とClub/DanceをつないだのはProdigyだった。

もっと正確に言えば、Prodigyに加えて、The Chemical Brothers、Fatboy Slim、この辺のビッグビートと呼ばれた音楽。当時のブームでチャートにビートメインのビッグビートが上がってきていた。これを聴いた時、なんか違うなと思った訳で。ビビっときたとは違うけど、でも、グッときたというか。

そこからビッグビートに限らず、CDショップのClub/Danceコーナーをチェックするようになる。だんだんビートものの音楽が好きになっていった。もちろん、ジャンルとかは分からず、なんとなく聴いてただけだったけど。

でも、だんだん好きな音楽の傾向というのは固まっていった。大学で上京し、そこからは4つ打ちのハウスにハマり、クラブミュージックに傾倒していくんだけど、そのベースは高校の頃に聴いていたビッグビートやジャンルも分からず聴いていたクラブミュージックだったんだ。

貪るように1つのCDを何度も何度も聴いていたのはその頃。その頃のビッグビート。メジャーシーンでクラブミュージックの要素を入れ込んでくれていた彼らの音楽。今はほとんど聴いてないけど、聴けばまだアガる。

今日はProdigyを聴いて走りにいこう。

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