こんにちは、よっぷです。朝起きると非常に残念なニュースが飛び込んできました。電気グルーヴのピエール瀧さんがコカイン使用の容疑で逮捕されたとのこと。学生時代から電気グルーヴの楽曲に親しみ、ライブにも足を運んだことのある私は、得も言われぬ喪失感に苛まれました。ですが、悲しみとともに、違法薬物をめぐる報道の仕方にも疑問を感じるところがありましたので、すこし考えてみたいと思います。
真面目なあの人が何故?という演出
いくつかニュースで瀧さんのことを「真面目な」「温厚そうな」イメージがあると報じていましたが、電気グルーヴの楽曲をちゃんと聴いていたり、メディアに出始めの頃の彼らを知っている人にとってはそんなイメージはないはず。どちらかと言えば“社会不適合者”というイメージが強く、むしろ“ヤバイ人”“おかしい人”で売っていました。
CMや役柄で「温厚そうなおじさん」の瀧さんを見かけた際は、裏のヤバさが透けてみえてくる。もともと電気グルーヴとしての彼は「テレビに出れるような類の人ではない」のです。起用する制作会社やプロデューサーは、そのチグハグさが面白くてキャスティングしていたのかもしれませんし、そういう視聴者も多くいたはずです。
とは言え、2000年前後から役者としての比重が多くなり、最近そうしたイメージは“浄化”されてきたのかもしれません。14年に日本アカデミー賞の助演男優賞を獲ったのは象徴的でした。その頃には私も役者としてのピエール瀧に違和感を覚えなくなっていました。また、メインパーソナリティーを務めるテレビ番組、ラジオへの出演も増えてきました。
名バイプレーヤー、マルチタレントとして、「テレビに出れる人間」になってきた。そして影響力も、電気グルーヴを礼賛する一部のファンだけでなく、色んな層に受け入れられる人物として、それを高めていくことになった、というのが私が知っているピエール瀧。
今回は瀧さんのダークな部分はほとんど取り上げられず、「真面目」で「温厚そうな」、「名優」が薬物に手を染めたというニュースとして取り上げられた。そこには、「真面目な人なのに何故?」という演出があるでしょう。そちらの方がドラマになるから。
きっと、今後、彼の出演映画、ドラマなどのコンテンツが自粛で封印されてしまうのでしょう。映画などでまだ封切り前の作品も数多くあったようです。
「被害者」のいない麻薬使用で、どこまで社会的制裁が必要か
ここでちょっと、麻薬使用で逮捕された際の、メディアの報じ方について考えてみたいと思います。
有名人、特に芸能人が麻薬で捕まった時の社会的制裁は、罪の重さに比べて厳しいと思います。その人の社会的影響力を考えてということだけど、スポンサーや関係企業への違約金は莫大で、かつ活動が制限される訳ですね。
でも、よく同じような感じで報じられる、犯罪や強姦の場合と比べて考えてみてください。そちらには被害者がいる。犯人を見た時に、トラウマに苛まれる可能性もある。だから傷を負った被害者がいる場合には、コンテンツ制作側は表現に慎重になるべき。だけど、麻薬の場合は誰かを傷付けたわけじゃないじゃないですか。それにもしかしたら性犯罪は示談で解決されて無罪放免になるかもしれない。でも、麻薬についてはその可能性はありません。
そもそも、映画やドラマは自粛するのが通例になってきていますが、わちゃわちゃ騒きたてるワイドショーには本人の過去の映像や作品も沢山流れています。ここのダブルスタンダードもおかしいですね。
苦しんでいる薬物患者を無視した報道は止めよう
そして、こちらの方が問題だと思うところですが、薬物問題に関するメディアの報じ方に、「現在薬物依存に陥っている、または治療中の人への配慮がない」という問題です。
少し前の記事ですが、薬物依存研究、治療に携わっている松本俊彦さんという方へのインタビューが非常に勉強になります。
この記事の中では、有名人の麻薬犯罪のニュースの中で繰り返し使用される、薬物のイメージ(白い粉や結晶、注射器)が、「治療中の患者の再使用スイッチを押してしまう」ということを指摘しています。ニュースを見てしまった薬物依存の方が、そういうイメージをみて薬物を使いたくなってしまうということですね。
もう1つ、この記事で重要な指摘は、使用していた当の本人も、薬物依存に苦しんでいた被害者だったかもしれないということ。少し引用してみます。
「例えば、ある芸能人が覚せい剤の使用で捕まったときに、捕まえに来た捜査員に『ありがとうございます』って言ったんですね。この言葉をとらえて、スタジオのタレントさんが『何がありがとうございますだ』『ふざけんな、軽いね。反省が足らない』とかって言ったんです。私の外来に来る覚せい剤依存の患者さんも、多くは逮捕経験があるんですけど、ほとんどの人が、逮捕された瞬間に『ありがとうございます』って言うんですよ。その瞬間に、これでやっと薬がやめられる、もう嘘の上塗りをしなくてもいいって思うからなんです」
今回の瀧さんの場合も、自宅からは薬物が出てこなかったけれど、任意の尿検査に応じ、「使用は事実である」と認めたとのこと。瀧さんも薬物使用の負のスパイラルから抜け出したかったのではないでしょうか。
麻薬はもちろん悪です。反社会的なものであり、取り締まりは厳しくされなければならない。ですが、ハマってしまった中毒者は、被害者でもある訳です。50過ぎたおっさんに対して“自己責任”として批判だするのは簡単ですが、批判している方たちはたまたま薬物の経験がなかっただけかもしれない。多くの方には関係しないこと、周りにないことかもしれません。でも、麻薬で商売する人は間違いなくいる訳で、どこかではその誘惑があるのです。
報道の仕方で、単に事実(●●さんが麻薬使用で逮捕された)ということまでは報じるのは問題ないと思いますが、人格の否定(“そんな人だと思わなかった”という街の声や、大犯罪者かのような過剰な追及)は必要ありません。
私は間違って薬物に手を染めてしまった人に対しても、使用を止めたいというのであれば、なるべく優しくありたいなと思っています。
上の記事でもありますが、こうした報道の仕方を問題視し、薬物問題の報道ガイドラインを作る動きもあるようです。WHO(世界保健機関)が2000年に自殺報道のガイドラインを定めており、それと同様の参考基準を作ろうという動きです。
アスクという特定非営利活動法人がその活動を行っています。上の記事でインタビューされている松本さんも、その発起人の1人です。
その試案としては、下記のようなことを避けるべきこととしています。
・「白い粉」や「注射器」といったイメージカットを用いないこと
・薬物への興味を煽る結果になるような報道を行わないこと
・「人間やめますか」のように、依存症患者の人格を否定するような表現は用いないこと
・薬物依存症であることが発覚したからと言って、その者の雇用を奪うような行為をメディアが率先して行わないこと
・逮捕された著名人が薬物依存に陥った理由を憶測し、転落や堕落の結果薬物を使用したという取り上げ方をしないこと
・「がっかりした」「反省してほしい」といった街録・関係者談話などを使わないこと
・ヘリを飛ばして車を追う、家族を追いまわす、回復途上にある当事者を隠し撮りするなどの過剰報道を行わないこと
・「薬物使用疑惑」をスクープとして取り扱わないこと
・家族の支えで回復するかのような、美談に仕立て上げないこと
まとめ
やはり、単に社会的影響があるとして麻薬使用者を“悪人”として罰し、その出演作、作品を封印するようなあり方は良くないなぁと改めて思います。まず、報道の仕方を見直し、その影響で苦しむ人は誰なのか、メディアの側も自問することが必要でしょう。